わずか100年前・・複業があたりまえの時代があったそうですよ。
5%
これ、何の数値かわかりますか?
100年前の労働者人口における、サラリーマンの比率だそうです。わずか100年前はサラリーマンはこんなに少なかったそうです。
いまの時代、サラリーマンの副業解禁が話題になっていますが、100年前はサラリーマンの副業なんて言葉自体がなかったはずです。
今から100年前といえば、明治・大正時代のこと。ほとんどの人は自営業で、生き抜く知恵を使って、いろんなビジネスをしていました。
そもそも、自営業は副業OKなのですから・・。
今回は100年前のサラリーマン事情をふり返り、これからの副業について考えてみます。
100年前のサラリーマン事情
第一次産業が盛んだった100年前は、サラリーマンは少数派のエリート集団でした。当時は医者や弁護士より、サラリーマンのほうが社会的地位は高かったのです。
わずか5%のサラリーマン
1920年(大正9年)代後半、サラリーマンは少数派のエリート集団でした。高等教育を受け会社や銀行に勤めている人たちで、労働者人口のわずか5~6%程度しかいなかったのです。
サラリーマンは少数派のインテリでしたが、刀のかわりに弁当をぶらさげる「腰弁」とか、「月給取り」と呼ばれて、あまり尊敬される職業ではなかったようです。
『大学は出たけれど』昭和4年の小津映画
昭和初期は、東大卒でもわずか30%しかサラリーマンになれない時代でした。
映画監督の小津安二郎は、昭和4年に『大学は出たけれど』という映画を発表しました。大学を卒業しても仕事がみつからないのは、今もむかしも変わらなかったようです
リストラにおびえる昭和初期のサラリーマン
昭和初期のサラリーマンにも、リストラというリスクがあったようです。
昭和3年に発売された月刊誌『サラリーマン』では、サラリーマンをやめて起業や転職しようとういう人たちに、慎重に行動するようにと警鐘をならす記事が発表されました。
現在も100年前も、サラリーマン事情は変わりませんね。
サラリーマンが主流になった戦後
一部のエリート職業だったサラリーマンは戦後、急速に増えていきました。
サラリーマン人口は戦後50%を超える
戦後、サラリーマン人口は上昇を続け、1990年に65.6%がサラリーマンとして働く時代になりました。
サラリーマンという働き方が増えた理由は、
安定した収入が魅力だったことと、国の保証制度が充実したことが影響が大きかったと思われます。
サラリーマンは気楽な稼業!?
「サラリーマンは安定した職業で、自営業は不安定な職業だ」と言われるようになったのは、いまから50年前の高度成長期時代です。
ドント節(ハナ肇とクレイジーキャッツ)は、
サラリーマンは気楽な稼業
と歌って大ヒットしました。
いま風に、サラリーマンのメリットを説明すると、
- タイムカードさえ押せば給料もらえる
- 安定収入があるのでツケで飲み食いできる
サラリーマンはめちゃくちゃメリットあるのに、「なんでサラリーマンにならないの?」と、歌で炎上させたわけです。
こんなメリットだらけの歌が流行したら、みんなサラリーマンになりたがりますよね。
平成のサラリーマン事情は?
昭和の時代が終わり、平成の時代も終わるります。そんな今、夢のサラリーマン時代が幻想だったと、みんなが気づき始めました。
リストラ・倒産・残業代カット・年金不安・・・などなど、不安をあおるニュースばかり・・。サラリーマンは「気楽な稼業」ではなかったのです。
平成が終わる今、サラリーマンに変わる「新しい働き方」が必要になってきたのです。
複業が新時代の働き方になる
働くとは本来、生きるためにするものです。
サラリーマンには、倒産やリストラのリスクが伴います。仕事がなくなると、たちまち生きていけなくなるサラリーマンの働き方は間違いです。
サラリーマンには定年がありますが、そもそも寿命には定年なんてありません。
定年後も生きていかなければいけないサラリーマンに、副業禁止と言って定年後の生活に備えさせない会社はおかしいです。
だとすれば、正しい働き方は、
ひとつの仕事がなくなっても困らない働き方
つまり複数の仕事を持つ、「複業」こそが新時代の働き方だと思いませんか?
これってつまり、サラリーマンが少なかった100年前に時代に戻ることなのかもしれません・・。